全国ダイバーシティ・ネットワークダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(牽引型)

基礎工学部,阪大初の女性教授誕生から40年

矢野裕子 | 基礎工学研究科教授、ダイバーシティ&インクルージョンセンター教授(兼任)

 筆者は基礎工学研究科(※1)歴代二人目の女性教授(※2)と聞いている.2022年に着任した.望月先生がご退職されたのが1992年だから,30年もの長きにわたって基礎工学部・基礎工学研究科(以下,基礎工と略記する)には女性教授が居なかったことになる.なんということだろうか.阪大初の女性教授が誕生してから他の学部・研究科には少しずつ女性教授が増えていった.にもかかわらず,基礎工には望月先生に続く女性教授が存在しなかった.なんということだろうか(二回目).望月先生は誰の目にも明らかなる偉大な物理学者である.偉大過ぎて続く女性教授採用のハードルが上がってしまったのだろうか,はたまた女性研究者の方でも気後れしてしまう部分があったのだろうか,と想像してしまう.あまりにも長い間,女性教授を採用しなかったからか,基礎工は平凡な数学者である筆者を採用した.筆者は,幼少期から今に至るまで特に光る才能を感じたこともなければ,これといった取り柄もなく,志も大して高くない.息抜きが大好きだし,わりと,フツーの人である.振れ幅大き過ぎるだろ,と誰もがツッコミたくなるところだ.筆者は望月先生の偉大さを全く知らないまま特段のプレッシャーを感じることもなく基礎工に来てしまった.このコラムを書くために望月先生のことを調べ,研究者としても人としてもあまりに差があることに震えが止まらないが,筆者の存在によって後に続く人たちにとっていろんなハードルがかなり下がったのではないかとも思う.結果オーライということにしたい.

 しかし,である.女性教授の数,あまりにも少な過ぎないか? 望月先生の学生時代よりも前は女性には大学への進学が認められていなかった.東北帝国大学が帝国大学として初めて女性の学生を受け入れたのが1913年,当時はなんと文部省が東北帝大にいかがなものかと物言いをつけるほどで,女性は女性だからという理由だけで学問の道に進むことができなかった時代があったのは事実だ.戦後から女性の大学進学率は順調に高まり,筆者が大学に入った1995年の大学進学率は男子55.6%,女子57.1%(女子の割合には短大進学率も含むので四年制大学進学率は男子の方がやや高い)で,進学率に大きな男女差はもう無くなっていた.しかしながら,大学に勤める教員の男女割合は未だにかなり男性に大きく偏っている.それも上位職になればなるほど女性の割合が小さくなる.もっと踏み込むと,国立大学,特に旧帝大(阪大を含む)ではその傾向が顕著である.因みに基礎工には女性教授は筆者たった一人しか居ない(※3).かつて女性に学問の道が閉ざされていたように,教授職もまた女性には与えられてこなかった歴史がある.基礎工学部を創設した正田建次郎先生は数学者で,ドイツに留学してエミー・ネーター先生に師事していた.ネーター先生は当時既に著名な女性数学者であったが,女性であるがゆえにドイツでは教授職を得ることができなかった.望月先生は阪大で初の女性教授になられたが,よくよく年代を確認してみると当時のご年齢は決して若くはなく,業績から鑑みても教授への昇格は遅かった(遅らされた)のではないかとも思える.こういう話は,残念ながらまだ昔の話として片付けられるものではなく,実は今でも聞かれる.過去の偏見をいつまで引きずるつもりだろうか.私たちは性別と特定の分野や職業を勝手に結びつけてしまうという脳の癖,バイアスを有している.バイアスは偏った‘常識’を生み出し,差別的現象を引き起こしてしまうことがある.STEMと呼ばれる分野に女性が少ないのもバイアスの影響に因るところが大きい.

 科学(理学)と技術(工学)の融合をその創設の理念とする基礎工は,自然現象や社会現象の中に疑問を見出し,それを解明したり応用したりすることを目的とした幅広い研究を行う研究者の集う場である.臆することはない,ここはやりたいことをやりたいようにやる人たちがわちゃわちゃ自由にやっているところだ.バイアスの影響でSTEM分野への進学を躊躇してしまうかもしれない女子・女性たちの背中を押したいという気持ちから,基礎工では来年度の入試(学校推薦型選抜)から女性枠を設置した.今年3月には女性枠入試制度の説明も兼ねて,学部紹介イベント「女子高校生・女子中学生のための基礎工NAVI」を開催した.イベントは大変盛況で,多くの女子・女性たちが基礎工に興味を持っていることが分かったし,現役学生と直接話ができる時間もあって参加者からとても好評であった.

 やりたいことをやりたいようにやる.そんな皆さんを筆者は心から応援したい.

 本稿を執筆するにあたり,関係者の協力を得て,望月和子先生に関する書籍(参考文献の[2]及び[3])をお借りしました.この場を借りて心より感謝申し上げます.

(※1)望月先生ご在職の頃は教員は学部所属だったが,大学院重点化によって望月先生ご退職後の1990年代半ばより教員は大学院の研究科所属となっている.
(※2)(※3)クロスアポイントメント制度による特任教授,関連する他の研究科及び附置研に所属する教授を除く.

参考文献:
[1] 望月和子,一人の女性物理学者としての歩み,日本物理学会誌,1990年45巻5号,p.p. 347 — 349.
[2] 望月和子著,女性物理学者が歩んだひとすじの道,大学教育出版,2005年.
[3] 鈴木直監修,望月和子先生追悼文集編集委員編,望月和子先生追悼文集「一輪の薔薇に捧ぐ」,大学教育出版,2008年.
[4] 湯川記念財団望月基金 http://extreme.phys.sci.kobe-u.ac.jp/motizuki/

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