全国ダイバーシティ・ネットワークダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(牽引型)

大阪大学とジェンダーの視点

木村涼子 | 人間科学研究科教授

私が大阪大学人間科学部に入学したのは1980年のことでした。その当時、「教養教育」(現在でいえば「共通教育」)の授業は、豊中キャンパスのイ号館(※)とロ号館という大きな建物で主に開講されていました。豊中キャンパス内の古くからある建物群は、「イロハ」でネーミングされており、「イ」号館・「ロ」号館以外に「ハ」「二」「ホ」…などの名前がついた研究棟も緑の木々の中に存在していたものです。すべての学部の新入生にとって重要なのはイ号館とロ号館の二つであり、そこで語学をはじめ、さまざまな教養科目を履修していたのですが、当時の女子学生には一つ困ったことがありました。戦前からの建築物であるイ号館には、女子トイレがなかった/少なかったのです。私が入学した頃、5階建てイ号館の中に一箇所か二箇所だけ女子トイレが設けられているに過ぎず、休み時間には女子がトイレ前に並ぶ状態でした。あまりに並んでいる時には、ロ号館(今の共通教育A・B棟付近)まで走ったりしていました。限られた女子トイレは、先輩の女子学生たちが大学に要求運動をしてやっと設置されたのだと耳にし、先輩に感謝したものです(いまとなっては真偽のほどを確かめようもありませんが)。

2025年は、大阪大学にとって初の女子学生入学から90周年(女子学生第一号は理学部、1935年)、初の女性教授誕生から40周年(女性教授第一号は基礎工学部、1985年)という節目の年です。他のコラムでも解説されているように、戦前には「大学」という高等教育機関に女性が入学することは基本的に認められておらず、例外的な入学者が存在していたに過ぎません。男子には社会での活躍を目指す立身出世主義が、女子には活躍する男性をサポートする良妻賢母主義が、それぞれの教育の目標とされたので、高等学校や大学などの高等教育は女子には不要とみなされていたのです。イ号館の女子トイレは歴史的な女性差別の名残だったわけです。

戦後、大学は女性にも広く門戸を開放したものの、進学率のジェンダー格差は長い間続きました。もちろん女子学生の数は年々増加していきましたが、教員構成のジェンダー格差の解消はより困難でした。私が大学に入学した頃には女性の教員は極めて少なく、教養科目で女性の先生に出会う機会は限られていました。先述したように最初の女性教授が誕生したのは1985年ですから、私が学部生の時代には全学を見渡しても女性の教授はいらっしゃらなかったのです。3年生になって吹田キャンパスに移り人間科学部の専門科目を本格的に履修するようになって驚いたのは、教養部以上に人間科学部には女性の教員がいらっしゃらなかったことです。講師・助教授(現在の准教授)・教授の中に女性は皆無でした。

私自身の研究の柱はジェンダー研究なのですが、学部生から大学院生の約10年間の間、ジェンダーの視点からの社会学を学ぶことも学内では叶わぬ願いでした。ただ、人間科学部に感謝しているのは、人科は学生の活動がさかんで、教員の側も学生の要望を汲み取る姿勢をもつ方が多かったということです。私が所属したゼミの教育社会学関係の先生がたは、ご自分で女性の社会的地位に関わる研究はなさっていないものの、私の問題意識を許容・理解してくださいましたし、人間科学部において「もっとジェンダー研究(1980年代当時はまだ「ジェンダー」という言葉はあまり使われていませんでしたが)があってしかるべきだ」という声に耳を傾けてもくださいました。

欧米を中心とした女性解放運動の隆盛を背景に、従来の学問の男性中心性を批判して誕生した「女性学」が高等教育で取り組まれ始めるのは1970年代であり、その後この流れが男性学、ジェンダー研究、クィア研究へと発展していきます。日本では欧米の動きに遅れていたものの、1980年代から1990年代にかけて高等教育で女性学やジェンダー研究が導入されるようになります。

日本でそうした動きを牽引したのは、実は大阪市立大学・大阪女子大学(いずれも現在大阪公立大学に統合)など関西の大学でした(1982年に大阪女子大学で「女性論」、1985年に大阪市立大学で「婦人問題論」が正式開講)。私自身友人とともに、こうした動きに刺激を受けて、阪大でも「婦人問題論」的な一般教養科目を開講してほしいという要求を大学に提出したことを、ささやかながら歴史のひとコマとして記録しておきたいと思います。その時には残念ながらすぐには叶いませんでしたが、時を経て他の先生方の努力で共通教育科目として「女性学/男性学」などが開講され、多くの受講生が学ぶようになります。その流れが、現在の全学共通教育科目「ダイバーシティ&インクルージョンの世界」にもつながっています。

人間科学部においても、年に一度開催されていた「文化講演会」や、夏と春の集中講義ゾーンでの開講科目に、ぜひ女性の研究者、特に女性学関係のテーマで開講してほしいという要望を毎年出し、女性の研究者による女性学関連の授業を受けることができました。それらの授業は、「酸素や水が多い」時空間、つまり知りたいことを教えていただける栄養あふれるものでした。教員の性別は関係ないようでいて、私にとっては意味がありました。人生の先輩であり、研究に関わる問題意識も理解しやすかったのです。学生時代に、こうした授業を限定された形であれ受けることができたのは、人間科学部を選んだからではなかったか、その点はありがたいと思い出されます。

 その後、人間科学部は「女性学」「男性学」「ジェンダー研究」関係の研究者を複数擁し、21世紀には日本の大学の中でもジェンダー系の研究と教育が盛んな学部の一つとなりました。そしてそこで教鞭をとることの責任を感じつつ、若い世代の問題意識に学びつつ、学生には「もっと大学にいろんなことをもとめてもいいのだよ」と声をかけたい気持ちです。

(※)現在の「大阪大学会館」

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