
父が日本赤十字社で献血に関わる仕事をしており、母も看護師だったことから、幼い頃から医療関係の仕事は身近な存在でした。もともとは医学部医学科を目指していたのですが、進路を見直す中で看護の道を考えるようになったんです。と言っても、看護師を目指していたわけではありません。現場とは異なる観点から保健医療分野に関わる仕事に就きたいと考え、将来の選択肢を広く持てる進学先を志望していました。

出身は長崎県で、周りは九州の大学に進学する人がほとんどでした。関西圏に進学する人は少なく、高校の同級生でも数人ほどだったと思います。阪大を志望したのは、高校の先生から「より高いレベルの大学に進めば、将来の選択肢も広がるのではないか」というアドバイスをもらったことがきっかけです。当時は研究内容まで深く理解していたわけではありませんが、阪大の伝統やブランド力にも魅力を感じました。
関西には旅行で訪れたことがある程度で、実際に住むのは初めてのことでした。でも不安よりも、楽しみな気持ちの方が大きかったように思います。阪大がある北摂エリアは、比較的落ち着いた雰囲気なので、初めての一人暮らしでも住みやすかったですね。入学してからは周りの同級生と仲良くなることができて、一緒に食事に行ったり、情報を教え合ったり。周りの人に助けてもらいながら、新しい環境にも少しずつ慣れていきました。
勉強だけでなく、キャンパスライフも楽しみたいという気持ちがあり、ジャズ系の軽音サークルに所属しました。もともと、音楽系の部活に入っていたので、大学でも音楽をやってみたいなと思ったんです。
大阪大学医学部附属病院での実習が特に印象に残っています。実際に患者さんを担当させていただく中で、容態が急変する場面を経験し、大きな衝撃を受けました。それまでの座学の学びが、臨床で意味を持つようになり、そこから勉強への向き合い方も変わりました。また、研究にも力を入れている点は阪大ならではだと感じています。3年生の後期から所属した研究室では、一人ひとりがテーマを持ち、企業との共同研究にも取り組んでいました。特に私が興味を持ったのは、「看護×工学」の分野。例えば、看護の現場を支援するロボットの評価などに関わりました。

「おもしろそう!」という純粋な気持ちが大きかったなと思います。実は高校時代に、生物と物理の科目選択で、私は物理を選んだんですね。だから、工学系の学びにも興味がありました。それに先生もユニークな方で、「ここで研究をしてみたい」って思いました。
そうですね、まさに工学は私の専門外。最初は難しさも感じましたが、分からないことは周囲に積極的に相談することで乗り越えていきました。大学に入って、阪大生は優秀な人が多いことを実感し、分からないことはそのままにせず、人に頼ろうと思ったんです。それに、研究室には、一度医療現場で働いてから研究室に戻ってきた人や、留学生も数多くいたりして、年齢も経験も、多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まっていました。研究室そのものが、多様性ある風通しの良い雰囲気だったことも、相談しやすさに繋がっていたと思います。

看護学専攻では、卒業後に看護師・保健師・助産師として現場に出る人が多く、私の周りでもその進路を選ぶ人がほとんどでした。でも、私のキャリアの考え方とは少し違うなと思っていて。患者さん一人ひとりに向き合うだけでなく、その背景にある制度や仕組みづくりに関わり、現場で働く人を支えられる人になりたいと考えていたんです。また、看護の世界では、一度現場で働いてから大学院に進学するという選択もありますが、私はそのルートを選ぶ強い意志を持ち続けられるか分からないという気持ちもありました。進学するなら、研究に向き合う時間をしっかり確保できる今が、ベストタイミング。そうした考えから、大学院への進学を決めました。
私が選んだ研究室は、どちらかというと看護師・保健師になる人よりも、研究職を志望する人たちが集まる場所だったんです。私自身、研究にも興味がありましたし、この研究室に所属するということは、大学院に進んで研究を続けていくんだろうな、というぼんやりとしたビジョンを描いていました。だから不安というよりも、「この環境で研究を続けていきたい!」という意欲の方が強かったと思います。
そうですね。正直、研究って楽しいよりも、うまく結果が出なかったり、地道な作業の積み重ねだったり、大変だなと思うことの方が多いんです。それでも、自分の興味に向かって、思う存分追究していけることは、すごくおもしろいなと思いますね。

学部生時代に引き続き、大学院でも看護の現場を支えるロボットの分野に関わっていました。例えば、企業が開発した洗髪ロボットの評価。修士論文では、医療や介護の現場で寝たきりの患者さんに発症しやすい「褥瘡(じょくそう)」について、発症前から検知できる最新機器の評価をテーマに、研究を行いました。修論の完成度だけでなく、修士の2年間でどれだけ幅広い経験を積めたかを重視する研究室だったため、多様な研究に携わることができたことが印象に残っています。


私が志望していたのは、シンクタンクや医療機器メーカー、製薬会社などです。中でもシンクタンクという業界は、研究室の先生から教えてもらい、国や自治体の政策に関わる仕事に興味を持ちました。一方で、看護系の分野では病院・自治体等への就職を志望する人が大多数で、企業に関する採用情報はほとんど入ってきません。そのため、他学部の友人に相談しながら、自分で情報を集めて就職活動を進めていきました。現在の会社を選んだ理由は、面接で出会った社員の方々の雰囲気に好印象を抱いたこと。現場で働く研究員の方が面接を担当してくださり、専門性の高い話題が交わされる中にもユーモアがあり、そのやり取りがとても印象に残っています。「この人たちと一緒に働きたい」と感じたことが、入社の決め手になりました。
看護師・保健師免許を持ち、大学院を修了している私の経験や能力を、価値として発揮できる会社や仕事内容であるかどうか。私の場合は、阪大で培った研究力や、学術的な専門性を医療現場で発揮するというよりも、社会に還元できるような働き方ができればと考えていました。
政策研究事業本部に所属し、官公庁から受託した調査研究や政策立案支援等に携わっています。中でも私が担当しているのは、予防・健康づくり、食物アレルギー、看護職の雇用管理改善に関する調査など、保健医療政策に関するプロジェクト。案件ごとにチームが組まれるため、専門分野の異なる人と協働しながら仕事を進めています。

知識そのものよりも、「考え方」がより活きていると感じています。例えば、表に出ている情報だけでなく、その背景にある課題やニーズを読み取ること。相手の言葉の奥にある本質を捉えること。こうした姿勢は、看護や保健について学び深める中で身についたものだと思います。また仕事上、調査は付きものなのですが、大学院時代に、調査や分析の進め方といった研究のお作法を実践的に学べたことも、今の仕事に役立っています。
仕事柄、現場で働く専門職の方々の話を聞く場面が多いんです。そんな時に、皆さんがいきいきと活躍されている姿を垣間見たり、皆さんの活躍を世の中にアピールできたりした時にやりがいを感じます。
これまでの歩みを振り返ると、私のキャリア選択は、周囲の環境に影響を受けてきた部分もあると感じています。例えば、大学院に進んで研究を続けようと思ったことや、先生からの紹介で看護師・保健師ではなくシンクタンクの道に進んだこと。そうした環境の中にいたからこそ、自然と道が開けていったのだと思います。その上で私が意識していたのは、自分の能力よりも少しレベルの高い環境に身を置くことでした。そうすることで、自然と努力することが求められる状況になります。周りに合わせて流されるのではなく、どの環境に身を置くかを自分で選ぶ。その積み重ねが、自分の進む道をつくっていくのだと思います。

正直なところ、そういう性分なのだと思います。大学院時代も、保健師や看護学校でのアルバイトなどで、気づけばスケジュールがいっぱいに埋まっていることもありました。自然と、自分を追い込んでしまうタイプなのかもしれません。
そうなんです。3歳の子どもがいるのですが、今も、スケジュールを詰め込んでしまう自分がいます(笑)。母としての私、仕事人としての私。そのどちらも大切にできるように、いいバランスを模索しているところです。
お茶を集めるのが趣味で、パッケージが可愛い商品や、おいしいお茶を見つけると、つい買ってしまいます。すると、家には空き缶のコレクションがずらり。地元・長崎県にいる両親から送ってもらった「そのぎ茶の和紅茶」もお気に入り。朝の一杯や、気合いを入れたいときにも飲んでいます。
